危機に立つ東大 (ちくま新書)本pdfダウンロード
危機に立つ東大 (ちくま新書)
によって 石井 洋二郎
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危機に立つ東大 (ちくま新書)の詳細
本のタイトル : 危機に立つ東大 (ちくま新書)
作者 : 石井 洋二郎
ISBN-10 : 4480072837
発売日 : 2020/1/7
カテゴリ : 本
ファイル名 : 危機に立つ東大-ちくま新書.pdf
以下は、危機に立つ東大 (ちくま新書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
本書は、元東大教養学部長で元副学長の石井洋二郎先生が、東大の秋入学騒動、文系学部廃止問題、二つの大学新テスト騒動(英語民間試験問題と国語記述式問題)について経緯と持論を丁寧に整理して説明しています。出版は2020年の大学センター試験直前というタイムリーなものです。「危機に立つ東大」という書名は、例えば政治の介入により東大で学問の自由が損なわれているとか、資金不足で研究が進んでいないとか、人事上の構造的な問題で研究者の育成機会が損なわれているとか、21世紀のAI時代の教育ニーズに対応していないとか、性差別が深刻であるとか、東大における深刻な問題が具体的に述べられているという印象を与えるものですが、本書では文科省の圧力やいわゆる「忖度」の横行や海外メディアのランキング制度の弊害については触れているものの、必ずしも東大特有の危機をクローズアップした書物ではありません。書名と内容に関連性があることは予想できるものの、書名との橋渡しが弱く、あとがきに「穏やかな息苦しさ」が充満していると、とみずからインパクトを欠いた説明をするにとどまって、本当の主張が何なのか分からなくなっているので、星一つ減点。内容としては、上述4つの問題で、共通して「目的と手段の逆転」があったこと、文系対理系とか教養対実用とかの「極端に単純化された二項対立的発想」が頻繁にみられたことを指摘しています。レベルの低い揚げ足取りが横行した、と嘆いています。また、終章で、断片的な情報に即座に答えることを求めがちなインターネット利用の拡大により、熟考するという姿勢がとられにくくなっている傾向の悪影響を指摘しています。また、安藤祐一郎元慶應塾長の「東大は国策大学」という愚説に異論を述べ、学問の自由を訴え、東大の独立性を主張しています。さらに、おそらくみずからのフランス語フランス文学研究者の立場から「言葉に対する敬意」を求めるとともに、元教養学部長の立場からリベラルアーツとは人文知であり、それは科学知(自然科学・社会科学・人間科学)の基盤である、という主張を説明しています(第二章図表6)。リベラルアーツの説明は、やや冗長ながら、石井先生ならではの説得力を感じました。四つの問題については、偶然それぞれ一旦解決済みというか、一から出直しの状態なので、直ちに代替案が必要な状態ではないと思われたのか、石井先生からの具体的な提案は特段ありません。それにしても、石井先生の主張は、やや、制度と文書規定に縛られた東京大学本部側の主張にすぎないように聞こえる部分があります。たとえば、外国語教育における圧倒的な学習量の確保やアウトプット練習が必要であることとか、先生も指摘している書き言葉の日本語において正確性が重要であることとか、テスト改革者が当初企図したであろうことには、ほとんど正面から応えていません。しかし東大には日本のトップの大学として、新共通試験の在り方や二次試験出題方針を通じて、中等高等教育に大きな影響をもっているので、それをリードする責務があります。したがって、私論であっても、対応案ないし基本方針を提示すべきだったと思います。創造性の涵養や21世紀のAI時代の教育の在り方についても同様です。 石井先生の指揮下で特に後期(3~4年生のこと)教養教育について取り組んだ藤垣裕子東大教授が、柳川範之教授とともに書いた「東大教授が考えるあたらしい教養 」(幻冬舎新書)では、教養とは「『 思考習慣を持つ』『土台(自分の思考)を作る』『土台を耕す』」であると定義し、なかでも『土台を耕すこと』は「異なる考えや意見を持つ人同士が建設的に議論し、思考を発展させていくこと」と定義しています。これからのAI時代を切り開く教養には、知識や狭い意味の学力ではないスキルや態度が含まれていると思われます。教養教育と入試は直ちに繋がらないのかもしれないとしても、可能な限り、入試を通じて中等教育での教養のある態度の涵養ないし意識づけがなされるべきではないかと思われます。しかし、本書で石井先生は、第四章で「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」について、「これからますます求められるようになるだろう」としながらも、「『態度』はあくまで『態度』であって、『学力』とは異質な概念」と書いてあり、混乱します。石井先生は、高校生までの若者が、狭い学力の競争を超えて、教養ある態度をとることを奨励する入試を施す知恵や思想はお持ちでないのでしょうか?落胆のあまり、星一つ減点。なお、万人の「言葉に対する敬意」を期待なさるだけあって、本書での石井先生の日本語はとても正確です。星一つ加点。以上ネットして一つだけ減点。
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